カナダで家が火事になったらどうなる?出火当時の状況と公的サポートや補償まとめ

海外生活

私はカナダBC州のアボッツフォードという町に暮らしていた時、当時住んでいた家のアパートが火事になった経験があります。

 

カナダで火事というと自然発火によって起きる山火事も多いですが、乾燥している気候のせいか、住宅火災も日本より身近で頻繁に起こっている印象があります。

 

私が火事に遭った時は、出火から新しい家に引っ越すまでの間にさまざまな経験をしました。

 

こちらの記事では、出火当時の状況から、公的に受けた支援・サービスなど、カナダで火事が起こった時にどうなるのか、体験談をもとにまとめていきたいとおもいます。

 

火事が起こったアパートと出火当時の状況

※写真はイメージです。

 

私が住んでいたのは、3階建ての建物におよそ50世帯が暮らす、築50年くらいのアパート。

 

元々兄家族が同じレジデンスに住んでおり(火事当時は引っ越していましたが)、別棟には夫の同僚や義姉のお兄さんなど知り合いも何人か住んでいました。

 

突然火事にあったのは、そこに住み始めて2年近くがたったころ。前日に雪が降り、まだ寒さの残る2019年3月上旬のことでした。

 

アパートの火災報知器が鳴り出す

夜10時半ごろ。私と夫は家にいて夕食も終わり、リビングでくつろいでいました。

 

突然、アパートの廊下の火災報知器のベルが鳴り出します。このベルが私の部屋のほぼ目の前にあるので、うるさいうるさい。

 

そこは普段から火災報知器の誤作動がとても多かったので、最初私たちは気にもとめず「いつもより今日は遅い時間に鳴るね、うるさいから早くおさまらないかな」なんてことを話していました。

 

多分他のアパートの住人もみんな同じような反応で、誰も動き出す気配はありませんでした。

 

しかし、5分たっても鳴り止まず。さすがにちょっと長いだろ、と夫と目を見合わせていたころ、突然上の階の住人が騒がしくなりました。

 

女性の悲鳴と、男性が叫ぶ声、ドタドタ走り回る足音と、大型犬の鳴き声も。

 

さすがにちょっと様子がおかしいと思い、外に目をやると、カーテンの隙間から向かいの並木がチラチラとオレンジの光に照らされているのが見えました。

 

カーテンを開けると、上から火の粉のようなものが降り注ぎ、乾いた木の燃えるような、パチパチという音が聞こえてきました。

 

そこで一気に状況を察した私たち。「マジで火事じゃん!」とソファーから飛び上がり、一瞬で身支度を済ませ、家を飛び出ました。

 

廊下では管理人の男性が各部屋の扉をドンドンと叩いて、住人に火事を知らせて回っているところでした。

 

次々に逃げ出す住人たちと逃げ遅れて助けを求める人

実際に火を見て火事に気づいた私たちは比較的逃げ出すのが早く、外に出た時はまだ他に数人しかいませんでした。

 

炎が上がっていた部屋の向かいの部屋もすでに火の海に包まれていて、逃げ遅れた住人の女性がバルコニーから助けを求めて泣き叫んでいました。

 

その隣の部屋ではどす黒い煙が窓から外に激しく出ていて、バルコニーでは男性が2人、ただただ黙って救助を待っている様子でした。

 

3階の住人たちはバルコニーから外に逃げることもできず、私たちも何も出来ず。。夫が911に電話をすると、すでに他から数件の通報があり、もう向かっていると返答がありました。

 

そうしているうちに他の住人たちも部屋から出てきて、管理人が「建物から離れて!」とアパートの前にいる人々を通りの反対側に移動するよう誘導します。

 

ほどなくしてサイレンが聞こえ、消防車が到着。消防士たちは落ち着いた様子で、ホースの準備などを始めます。

 

一人の消防士が救助に向かい、周りにいた住人たちが「あっちにまだ取り残されている人がいます!」とさっき助けを求めていた3階の住人の場所を伝えます。

 

消化活動が始まる前には2台、3台と次々に消防車や救急車が到着し、家の前の通りは救急車両で埋め尽くされました。

 

翌朝のCTVニュースでこの火事が取り上げられており、火元とみられる部屋から60代の女性が遺体で発見されたと報じられていました。

 

消防車が到着、救助と消火活動が始まる

そして、3台の消防車から放水開始。初めはボヤ程度の火だと思っていたのが、どんどん火は大きくなり、アパートの上に大きな火柱が上がっていきます。

 

懸命に消化活動をしている様子ですが、火の勢いが強すぎて、ホースの水ではまったく歯が立たないように見えました。

 

こちらがその時の実際の写真。

 

建物の中心部分で燃えているため、消防士も道路からの消火に苦戦している様子でした。

 

その後、アパートの高さをゆうに超えるはしごが登場。かなりの勢いで出火地点に向けて放水されます。

 

火元は3階。私たちの住んでいた部屋はそこの真下の1階で、この光景を見た時、夫と私は

 

あ、終わった。。。

 

と心の中で同時に思ったのでした。

 

家のものすべて、思い出の品も水に沈むのかと考えた時のショックに加え、煙の匂いにめまいと吐き気を感じ、夫につかまりながらその場に立っているのがやっとの状況でした。

 

家族からの連絡も電話繋がらず 安否確認報告後、火事場を後に

そんな中、向かいのアパートに住む義姉のお兄さんから火事の報告を受け、兄から携帯に連絡が入りますが、電波はあるのにこちらからの連絡が繋がりません。

 

義姉が仕事先から帰るところなので、もう少ししたら迎えに行くといわれ、大人しく待ちます。

 

雪残るまだ寒い日、慌てて逃げてきたのか、バスローブ姿の人やパジャマにカーディガンのみのような薄着の人もたくさんいましたが、住人たちはただただ火がおさまるのを祈るように見つめていました。

 

私たちも少しでも水に沈むものがなくなるよう、早く消化活動が終わるのを祈ります。

 

そのうち誰からともなく、別棟の管理人室で警察が安否確認をしているのでみんな行くよう言われ、私たちもそこで自分達の部屋番号と名前を伝えます。

 

そこではペットが見当たらないと泣いている飼い主の住人が消防士に探しに行かせてもらえないかと懇願していましたが、今は危険なので近寄れないと説明されていました。

 

出火からおよそ30分後、仕事から上がった義姉が車で迎えにきてくれて、私たちは放心状態でその場を後に。

 

ちなみにその後現場では、寒さしのぎのために空車のバスが住人たちに提供され、夜は近隣のホテル3箇所に分散して宿泊したそうです。

 

火事の翌日〜消防士による説明会・公的サポート、補償について

※火事の2日後に撮った実際の現場写真。天井が抜けている部屋の奥が出火元の部屋でした。

 

兄の家で一夜を明かした私たち。義姉がもともと出火したアパートの住人だったこともあり、彼女を通して管理人や元隣人からさまざまな情報が収集されていきます。

 

火事の翌日、分散宿泊したそれぞれのホテルで消防士と大家が説明会を行うため、宿泊していない住民も含めてその時間に会議室に集まってほしいと言われました。

 

近隣のホテルに無償で3泊3食付、150ドル分のバウチャーが支給される

それに先駆け、家を失ってしまった住人たちのために翌日以降のホテル3泊分と隣接しているファミレスで使える食事券3食分×3日分、さらに歯ブラシや肌着など身の回り品購入のためSuperstoreで使える$150分のバウチャーが無償で提供されるとのことでした。

 

家については義姉が「新しいところが見つかるまで家に住んでいいよ」と言ってくれていたので、私たちはバウチャーだけ欲しかったのですが、バウチャーを支給するにはホテルでの宿泊が必須とのことで、この日から3日間ホテルに泊まることにしました。

 

消防士と管理人による説明会 全住民退去の報告

※写真はイメージです。

 

夕方、会議室に集まった私たちは、アパートの消火活動にあたった消防士から現場の状況説明が行われました。

 

火事による犠牲者が出たため現場付近には規制線が張られ、警察の捜査が終わるまでの間住人は一切アパートに近づくことができませんでした。

 

火事の場所、被害の規模、消火活動の結果報告と、煙を吸った家財道具のその後の取り扱いなどについて説明を受けます。

 

そしてその後管理人から、建物全体の修復作業に約18ヶ月がかかること、全住民は退去となり、新しく住む場所を見つけるようにと伝えられました。

 

火事の規模からしてもう住めなくなることは覚悟していましたが、数年暮らした家。実際に退去の話が出た時はショックでした。

 

町内に空きのある部屋の間取りと家賃をリスト化したものが各自に配られ、新しく住む部屋をこれを参考に探してくれとのこと。「出来る限りのサポートはする」と言っていたものの、大家も突然の出来事にひどく疲れた様子でした。

 

火を免れた家財道具の運び出しについては追ってスケジュールを報告すると言われ、説明会は終了。

 

すでに支払いをしている家賃は日割り計算され、その場で小切手を書いて返金されました。

 

ちなみに火事に関して、アパートの管理会社などから住民たちへの補償は一切なし。突然家を失った住人は、各自で火災保険に入っていなければ、火事による損害は全て自腹で対応しなければいけないという状況でした。

 

火事のあったアパートは生活保護の人も暮らす低所得者向けの物件。

 

ここ数年で家賃が大きく値上がりしたこともあり、新しい物件は安くても元々支払っていた家賃の3割増しなんてこともザラで、行き場のない住人から管理人に抗議する声も見受けられました。

 

新しい家、義姉の協力により早々に見つかる

 

火事によって全てを失ってしまった私たちのために、兄夫婦は知り合いなどから寄付を集め、大量の服がホテルに送られました。

 

義姉の友達はクラウドファンディングを立ち上げ、新しいマットレスを買うための資金を集めてくれました。

 

全ての損害を補うには程遠い額でしたが、家族をはじめとした周りの人が私たちのために奔走してくれて、この時は本当にありがたかったです。

 

ホテルに宿泊できるのはひとまず3日間だけなので、その間に新しく住むところを探さなければいけませんが、だいたいどこも元いた所より家賃が高くなっており、次に住む場所の当てはありません。

 

3日目の時点で次に住むところが決まっていなかったため、ホテル滞在を3日間延長。この時、さらに延長できるかはわからないと言われました。

 

食事はホテルに併設されていたファミレスで使える食事券が3食分支給されていましたが、ストレスのためか何を食べても味がせず、食欲もなかったため、ほとんど使うことはありませんでした。

 

ホテル暮らしといっても旅行の時のような快適さは全くありません。無料の客なのでサービスもないに等しく、特に行くところもないため、ゆううつな気分で部屋にこもっていました。

 

先の見えない不安に襲われながら、これからのことを考えていると、義姉から知り合いに近々引っ越す子がいてそこの部屋が空くから見に行かないかと連絡がありました。

 

そこはインド人の大家族が暮らす一軒家のベースメントで、家賃はなんとか予算内、立地も夫の職場から遠くなく、しかも築一年という好条件。

 

家が火事になった経緯を話し、義姉の知人である前の住人が2日後に引っ越すとのことで、その後私たちが優先的に借りられることになりました。

 

次の家が早々に決まったのは本当に幸運なことで、この件について義姉には今でも感謝してもしきれません。

火事場から家財道具を持ち出し、引っ越し完了

前の住人の退去後、業者のクリーニングが入るとのことで、私たちはその翌日から入居できることになりました。

 

ホテルでの荷物はほとんどなかったので、火事のあった家からまだ使えそうなものを運び出すのが私たちの主な引っ越しの作業。

 

私の住んでいた部屋は火による被害は免れたものの、火元の部屋の真下だったので消火活動による水のダメージがひどく、ソファ、ベッドなどの布製のもの、木製の家具などはすべて処分となりました。

 

火事発生の時にコンセントに挿しっぱなしだった電化製品(ケトル、電子レンジとか)も全て処分。個人的にMacbookの充電器2台がダメになったのはその後のダメージが大きかったです。

 

冷蔵庫の中身は火事発生により停電になったため戻ってきた時にはすべて中身は処分されていました。

 

火事によって生じた損害は、少なく見積もっても2000〜3000ドルはいっていたと思います。

 

火事を経験して初めて知ったのですが、消火に使われる水はただの水道水ではなく化学薬品が含まれた水のため、部屋や中に残されたものたちは全て煙とケミカル臭の混ざった独特のにおいがありました。

 

お気に入りの革靴も、水浸しの部屋の中で数日の間にカビが生えてしまい泣く泣く処分。

 

ジャケットなどクローゼットの中にかけてあったものは奇跡的に水の被害をうけていなかったので、運び出し、洗って使うことにしました。

 

警察と消防が引き上げた後、早速修復作業のため業者が出入りするようになり、アパートの周辺は一気に慌ただしくなりました。

 

住人たちには約1週間の猶予が設けられ、その間に必要な家財道具はすべて運び出して欲しいと通達が入ります。

 

荷物を引き取りに来る元住人たち、明け渡しが終わり残った家財道具を処分する業者の人たちなど、いろいろな人が出入りします。

 

ちなみに郵便物たちは郵便局の仕分けセンター的なところで保管されていたので、届いたものはそこへ取りに行っていました。火事発生後1年間ぐらいはそこで受け取ってくれていたと思います。

 

夫は仕事のため、休みの日に大きめの荷物を運ぶのを手伝ってくれましたが、引っ越しの作業はほとんど一人で行いました。

 

あまり物をもっていないつもりでしたが意外と荷物が多く、1週間はあっという間に過ぎ、まだ心残りもある中、期限のため部屋を明け渡すことになりました。

 

荷物を新しい家に移してからがまた大変。狭くなった部屋の中にまだ仕分けされていない大量の服や荷物の段ボールが積み上げられ、一時思考停止。

 

その後、アパートから運び出した荷物を洗ってはしまいの繰り返しで、全部終わるまでにかなりの労力と時間がかかりました。

 

大量に寄付されたものの、使用しない衣類などは別の場所に寄付するため段ボール数箱にまとめ、業者に持っていってもらうなどしました。

 

引越しの荷物が片付き、生活が落ち着いたのは、引っ越しから3ヶ月ほどたったころでした。

 

後日談〜火事になったアパートのその後

※写真の家は実際のものとは一切関係ありません。

 

火事になったアパートはその後どうなったのかというと、火事の被害を受けなかった別棟も含めて管理会社が変わり、家賃が跳ね上がったそうです。

 

そのため別棟に家族で住んでいた夫の同僚も家賃が上がるタイミングで引っ越したとか。

 

しばらく業者が出入りしていましたが、いつの間にか修復作業も終わり、貸し出しは再開されました。

 

ネットで見る限り、内装はとてもキレイに、今風のつくりになっていて、私が元いた部屋も全く面影がないほどに変わっていました。

 

火事で特に3階部分は壊滅的な被害だったので、築年数も古いし建て替えるのかなと思いきや、そのまま使うんやなぁという感じです。

 

表面的な見た目は劇的に改善されているけど、築50年のアパート、建物自体には相当ガタがきているような気もします。

 

ネットの情報だとカナダでの建物の耐用年数は70年〜100年とも言われており、50年はまだまだ現役で使える認定なのかもしれません。

 

私の部屋ではシンクから生活排水がしょっちゅう逆流していたけど、配管の問題とか、その辺クリアしているのか謎ですが。。。

 

ちなみに気になる出火原因ですが、これについては消防士などからも公的な発表はなく、管理人からも何の報告もありませんでした。

 

そのため住民の間ではさまざまな憶測がひろまっており、火元の住人の寝タバコによるものだったのではないかともいわれていますが、はっきりしたことはわかりません。

 

コンロは蚊取り線香みたいな熱のタイプだし、キッチン周りは過剰なぐらい火災報知器が鳴ってたので、部屋でアロマキャンドルでもたいていないかぎり、現実的に考えてタバコぐらいしか火事の原因となるものはないような気もします。

 

アパートの規則ではタバコ禁止となっているにもかかわらず、住人の間ではタバコやマリファナが常態化しており、廊下が煙たく感じるほど。

 

禁止されているタバコが出火原因なのだとしたら、管理人としてはあまり大きな声ではいえないですよね。

 

今でも火事原因が明かされていないのは、何かしら公の場で言えない事情があったのかもしれません。

 

まとめ

 

今回は、私が実際に体験したアパート火災での経験を出火当時の状況からまとめてご紹介しました。

 

住む場所がなくなった人のためにホテルと食事が無償で提供されたり、スーパーストアで身の回り品を買うためのバウチャーが支給されたり、カナダでは火事など災害による公的支援に一定のガイドラインがあるのかなと感じました。

 

これは友人から聞いたのですが、最近その友人の知り合いのアパートも火事になり、私たちと全く同じ手続きで(ホテルとか、買い物とか)支援を受けたそうなので、この3年の間にそこまで大きく変わっていないようです。

 

火事にはできれば遭いたくないですが、集合住宅とかだと、こちらに一切の過失がなくても突然起こってしまう可能性があるので本当に恐いですね。

 

あらかじめできる対策としては、火災保険に入っておく、もしもの時のためにしっかり蓄えを作っておく、普段からどこになにがあるかわかるよう整理整頓しておく、避難経路の確認、火の元には特に気を付けるなどがあります。

 

私は火事の経験から必要以上に物を持つのをやめ、備え付けの収納スペースに入る分しかストックも持たないようになりました。

 

いくら物を持っていても、火事とか災害にあえば一瞬で無くなるし、物への執着はほとんどなくなりました。ミニマリストでいる方が気が楽です。

 

火災報知器の音が鳴り続けたり、上階の人がドタドタ歩くと動悸が起こったり、火事の経験は今でもトラウマとして残っていますが、命があっただけでも良かったと思っています。

 

その3年後、今度は夫が職場で火事に遭遇してしまうのですが、それについてはまた別の記事でお話ししていきたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

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